しまったと思う

しまったと思う
 まさか、こんな話を聞くことになろうとは思ってもみなかったので、早苗は、すっかり毒気を抜かれてしまった。
「それで、次の作品は、いつ頃出るんですか?」
 何気なくそう聞いてしまってから、。それまで上機嫌で口数も多かった高梨が、急に口ごもり始めたからだ。一番痛いところを突いてしまったに違いない。
「うーん……そうですね。まあ、できるだけ早くにとは、思ってるんですが」
「あの。楽しみにしてます。私、ずっと高梨さんのファンでしたから」
「そうですか。ありがとう。しかし……」
 高梨は、寂しそうな表情になった。
「まあ、あなたも気がついているとは思いますが、最近、本が出てないんですよ」
 やはりそうだったのかと思う。よほどのナルシストなのか、容姿に自信があるのか、高梨の単行本には必ず著者近影がついていた。もし新刊を見かけていれば、書店で出会ったときに、彼の顔はすぐにわかったはずだ。
「スランプなんですか?」
「まあ、そうも言えるかな。書く方じゃなくて、売れ行きの話ですけどね」
「でも、あんなにたくさんベストセラーになったのに」
「要は、飽きられたんでしょうね。読者に。あな韓國 午餐肉たとこの前会って一年ほどしてから、売れ行きがぴたりと止まったんです。以前の作品は、もう、ほとんどが絶版でね。文庫本も、三十冊以上あったんだけど……」
 早苗は、高梨の自虐的なまでの率直さに当惑した。
「きびしい世界なんですね」
 高梨は、しばらく無言のまま、冷えたキーマンを啜《すす》っていたが、唐突に革のショルダーバッグからプリントアウトされた原稿の束を取り出した。
「これは、一番最近書いた作品なんです。もしあなたに頼めるなら、読んで感想を聞かせてくれませんか?」
「……でも、私なんかでいいんですか?」
「もちろん。厳しい批評をお願いします。気を遣ったりしなくていいですから」
「わかりました」
 早苗は、高梨に同情する反面、彼の現在の苦境を喜ぶような気持ちが、自分の中で動いているのに気がついた。
 それは、言ってみれば、友達に貸したまま所在がわからなくなってしまった本が、久方ぶりに自分の手元に戻ってきたような感情だった。
 今、彼を助けられるのは自分しかいない。そう考えるのは、けっして悪い気持ちではない。自分は昔からずっと彼の才能を認めていたのだし、自分の助けによって、彼がもう一度スターダムに復帰することができたら、どんなに誇らしいだろう。それも、今度こそ、本物の小説を書くことによって。
 高梨から預かった原稿は、『残映』と題されていた。一見、時代小説風のタイトルだが、冒頭の部分を見ると、舞台は現代のようだった。早苗は、高梨と別れてマンションに帰ってから、一気に原稿を読了した。四百字詰め原稿用紙に換算して三百枚ほどで、長めの中編といったところだろうか。



2015年08月14日 Posted by憂傷的眉梢 at 13:26 │Comments(0)

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